2005年3月11日、廿日市市立宮内小学校4年生による、「馬頭観音」の歴史を紹介するイベントが開催された。手作りの説明看板の設置も計画予定だという。
舟形浮彫、三面八臂坐像。馬頭観音の少ない広島県西部では、比較的多い形容である。持物も多く威厳を感じる。銘文には「文政七甲申二月吉日」(1824)とあり、『芸藩通志』が完成する一年前の造立だということが分かる。『芸藩通志』によると、当時の宮内村の人口は2000人弱、牛136頭、馬45頭。丁度この馬頭観音がある場所は「石見坂」と呼ばれていたらしい。
昭和40年代半ばまではこの石見路をバスが走っていたが、現在は御手洗川を越えた新道が幹線道路となり、ここ10年で風景も一気に変わってしまった。
高齢化や核家族化によって「家族内の伝承」という経路が取れなくなった今日、今回のように、高齢者から子供達へ、歴史や慣習が語り継がれていく機会を「定期的に」作っていく必要があるように思う。

石見坂〜仏坂〜汐見坂・・・峠を越えれば佐伯町。
藤たるる 津和野ふるみち いにしえは いかにかありし(宮内小学校 校歌より)
:参考文献:
『芸藩通志』 頼杏坪編 国書刊行会 1981
『中国新聞』「馬頭観音こうして誕生 宮内小児童歴史を紹介」 中国新聞社 2005
2005/03/19 18:42